半年が過ぎた被災公文書の現状調査 |
6か月が経った被災公文書の現状を訪ねて
5月9日(金)は、JSTメンバーで作成した被災役所40機関ほどのリストを用いてタクロバン郊外の被災政府機関を訪ねることとし、Visayas State Universityから「被災から半年」の現状調査を始めた。
ここも韓国政府が5年計画で被災地域のほとんどの学校の復旧・再建を支援するRehabilitation of School Buildings計画の一環で、損壊した建物を撤去する重機が2台正門横に威容を示し、学内のコンピュータ、扇風機まで韓国政府支援ステッカーが毎日学生たちに見える場所に貼ってあった。この韓国の支援案内板は、各学校の正門横などに見えやすく掲示されていて、目に留まりやすい。(画像はサマールで撮影したもの。)
別途記載する予定だが、今次の台風30号(Yolanda)被災地では、韓国政府・軍の支援活動は目立ち、未来を担う学生たちが韓国政府の支援活動を各所で目にしていて、その感謝と評価が多く聞かれた。他方、日本政府/JICAが、今回どのような支援を、どこで行っているかを知る人はゼロだった。ODAは外交の一環という認識は高まっているが、当地で会う地元の人々の知る範囲では、日本政府/JICAの支援を知っている人がゼロというのは税金の無駄というか、情けないことだと思う。
VSUのTolosa校は、被災文書を積極的に残していて、3人ほどの臨時雇用の地元住民が10月までの期限付きながら雇用され、くっついた紙と紙を地道に開いていき、年度ごとに段ボール箱に入れていく作業をしていた。驚いたのは、作業員がくっついた頁と頁を離すために使用していた「作業道具」は「鉛筆」だった。これでは作業効率が悪く、紙を痛めることから、週末の時間を使ってタナワン町で入手できる良質な竹を用いて手作りの「作業用ヘラ」を数本作って月曜日にでも届ける予定だ。
Tolosa町役場、Tanauan町役場、Basey(Samar)町役場を訪ねたが、最近動き出したフィリピン国立公文書館の支援が入っているところは任せることにして、簡単に状況を聞くにとどめた。国立公文書は、災害に備えたセミナーやWSを企画実施する専門部署があり、聞き及ぶ範囲では内容も豊かだが、目前の被災資料の山の救済には踏み出していない。座学には長けているが、目の前の被災文書へのテクニカルな助言は通り一遍で、現地に出向いて汗を流して助けるという「感性」と「ノウハウ」が欠けているようだ。現地で具体的な助けを求める被災行政機関のために、何とか殻を破ってほしい。
サマール島のBasey町役場は、国立公文書館から被災文書救済作業用に消毒エタノール1瓶、修復用和紙少々をもらっていたが、国立公文書館の支援策では目前の被災文書を救済できないことに苦悩して、訪問した日本人修復家に具体的な「助け」を求めてきた。この地は17世紀に美しい教会堂が建設され、台風前は美しい豊かな町だったところが、スーパー台風で状況が一変してしまった。復興に向けて小さなお手伝いしてみよう。
扱ってきた被災公文書を助けたい、と強く願う人々、役人が少なくないことに感動し、何とか一冊でも、一枚でも多く被災文書を助ける支援を増やしたい。
殊に、専門技術を有する日本の紙修復技術者、保存専門家の「参加」を強く願っている。
下の画像は、8日(木)に訪ねたNational Food Authorityの被災した永久保存文書の山。
オーディトリアムの舞台の場所に、永久保存文書は保管されていたが、台風で屋根が吹き飛ばされて大規模損壊し、応急的に被災した文書の上にシートを張って雨水を防いでいる。